ジュンク堂と喜久屋書店にはよく行きます。

 主に行くのはジュンク堂では主に難波店、喜久屋書店は天王寺店。

 喜久屋書店では、コーヒー(250円)を飲みながら、新品の本を買わずに読むことができます。ジュンクの難波店では、コーヒーは飲めないけど、立派な机と椅子で本を買わずに読むことができます。

 近所に住む知り合いと、喜久屋書店の喫茶店でいろいろ議論したり、本棚から本を取りだすといろいろ話がはずみます。



 今日は久しぶりに、喜久屋書店の天満橋店に行きました(写真上)。このような時間の余裕ができたのは、Oさんが本来、私が最後までやらなければならなかった仕事を引き受けて下さったおかげです。ありがとうございます。

 上野千鶴子の『サヨナラ 学校化社会』(太郎次郎社)を予定では全て立ち読み(座り読み)して、約1800円の支出を抑制しようと思っていたのですが、あまりにも面白いので、半分まではジュンクで読んでその後、読んで買っちゃいました。本を最後まで無料で読んでから、本屋で買ってしまうということは、私にとっては非常によくあることです(汗)。

 一見、軽めの「読み物」ですが、教育社会学の文献のエッセンスもふんだんに盛り込まれていて、大学院生が付けた「注」も充実していて、「これは教育社会学の議論で取り上げるよりも、社会教育について学生さんと一緒に考えて行く際の入門書になるのでは?」と思いました。もちろん、予めこれを学生さんに読んでいただいて、それを私の講義全体の趣旨や、他の学説と絡めながら一緒に考えて行けそう。

 どこかのHPでも書いたのですが、私自身が反<<生涯学習>>というキーワードで、言いたいことはスローガン的には、「自分の能力や存在の評価を学校に取り上げられるな!」または、もう少し厳密に書くと、「そのような評価の取り上げというものは、まさに一昔前の表現を借りれば、『労働の疎外とパラレルな学習の疎外』となり、自分だけでなく、他人の尊厳をも挫いてしまうので、注意しましょう』というものです。
 その上でこそ、生涯学習を「自分たちのため」にすることができるだろう、というものです。(つまり〈 〉でくくった場合の〈  生涯学習 〉は悪玉のような意味で、〈 〉でくくらない場合は別の意味です。これは、池谷さんの好著『〈教育〉からの離脱』の用法を参考にしました(池谷壽夫著『〈教育〉からの離脱』、青木書店、2000年))。

 そういう考えなので、上野千鶴子さんのこのような本には賛成するところが多いです(内容を書かないと伝わりにくいですよね)。

   
ガラスに反射して写っているのは私の身体です。(わざとですよ(汗))。




夕方五時くらい。四月上旬で、まだ少し暗いかな?よく見ると桜が咲いています。(この画像をクリックするともっと巨大な画像になります)。